誰かと話したい

今日、工場バイトの時に例のごとく考え事をしてました。最近、なんだかやけに気が滅入るのです。せっかく大学に入って、ギターも届いて、毎日がハッピーなはずなのに、ふと、虚しさに襲われ、投げやりな気分になるのです。

で、その原因が分かりました(自分の中での結論が出ました)。その答えは、単純に誰とも喋ってないからだと思います。

 

コロナによって大学の対面授業が無い今、大学で友人をつくる機会は全くと言っていいほどありません。よって、僕は今この京都に話せる人がおりません。この状況が、僕の気を滅入らせていると思うのです。

 

なぜ、話さないといけないのか

ではここから、なぜ人と話さないと心がやばくなるかを考えていきます。喋れる人がいないということは、しゃべり相手は自分だけということになります。誰でも1日のうちにちょっとは1人で考え事をする時間があると思うのですが、1人でいる時間が長いと、だんだんと訳もなく考え事をしてしまいます。喋る相手が自分氏からいないからです。で、その考え事は、往々にして暴論になりがちです。なぜならそこで何を発言しても誰も傷つけないからです。他人と話す時、人は相手に気を使って、なるべく丁寧に、相手を傷つけないよう言葉を選びます。冷静な思考を経て言葉を発するのです。しかし、自分との対話の場合、丁寧な言葉をチョイスする必要がなくなります。ちょっとした差別的な発言(あいつアホやな)とかなら全然言えます。言っても誰も傷つけないからです。これは普段そんなことは言わない温厚な人でも当てはまると思います。やはり、他人との会話に比べると、言葉選びのハードルがぐんと下がりますからね。こうして冷静さを欠いている言葉で行われた議論が、暴論にならないわけがありません。

 

まるちゃんからの電話

昨日、高校時代の同級生の丸山くんから電話がかかってきました。どうやら、大学があまりにおもんないらしく、研究者という志を捨ててしまったようです。このように、理系の学生が研究者の夢を捨てるというのはよくある話だと思います。で、彼は今、将来何をするか決められずにいる、との事でした。僕はそもそも何かの志をもって大学に進学した訳では無いので、あまり丸ちゃんの苦悩に具体的な案を提示することは出来なかったのですが、苦労して大学に入ったのに、進路を変更してしまうのは大変なことだなと思いました。1時間話したあと、彼は、ちょっと心が軽くなった、的なことを言っていました。やっぱり、人と話すと心のモヤモヤが和らぐんだなと思います。彼は誰にも相談せずに1人で考えたのでしょう。自分の将来に対する漠然とした不安に対して、自分一人で抱え込んで、闇雲に考え、「もうどうでもいいや」的な暴論にたどり着いたのだと思います。

この気持ちは痛いほどよくわかります。やはり、1人で悩んでいても、悩みを増幅させてしまうだけなのです。だから、他の人と話すということが、とても大切なのだと思います。

 

LINE電話しよ

で、結論、LINE電話で同級生に話しかけようと思います。夜がいいですね。相手の都合も良さそうだし。とりあえず今夜は三島くんと話そうと思います。