打ち上げラッシュを迎える

長く苦しい受験生活がやっと終わり、今ようやく、安堵の時を迎えている。やっと普通の生活が戻ってきて、地上に足をつけた感覚だ。

お互いの健闘を称えあい、そして、別れを告げるため、僕達は打ち上げを開催する。気の合う小さなコミュニティでご飯に行って話をするのだ。しかし人は、多面性を持つ生き物で、複数のコミュニティに属している。なので必然的に打ち上げも複数回行われ、中学時代の友人、高校時代の友人、クラスの人、など、様々なコミュニティの打ち上げが連続する。これが非常にめんどくさくて、僕的には打ち上げは1回でいい。その1回で、辛かった受験期を回想し、お互いのこれからを想像して、夢を膨らませることは十分に可能である。まぁでもさすがに見ず知らずの人とやる打ち上げなんて楽しくはないので、1度に収めることは不可能なわけで。そのために掛かるお金が地味に痛い。1回の打ち上げで2000円から3000円は掛かる。それなら、Webライティングとかの本を買って自己投資したいところだが、この打ち上げによって高められる仲間との絆が、将来、困窮した自分を助けてくれるのではないか、ということを考えながらだいたい誘われた打ち上げは行くようにしている。やっぱり最後に人を救うのはお金ではなく友情だろうと信じている。まぁ友人であり続けるためにはお金が必要なのだが。

また、打ち上げというのが決まって食事であることもなかなか興味深い。例えば好きな子をデートに誘う時、僕達はとりあえず食事に誘う。これは別にご飯が食べたい訳ではなく、その人と喋るための環境づくりのためだ。何も置かれていないテーブルで、さぁ喋ろうってったって、違和感しか感じない。料理を食べるという名目がある事で、必然的に会話するハードルが下がるのだろう。打ち上げに食事が選ばれることもまさにこれと同じ原理で、まぁ料理も美味しいのだけれど、1番の目的は喋ることだろう。人は会話によって脳の活動が大きくなる、という情報を耳にしたことがある。会話という行為は、言葉だけでなく、共感能力や空気を読むことも達者でなければ成立しないので、それだけ会話は脳に良い。1人で黙々と勉強していた受験時代のやり方が本当に正しかったかどうかは、ちょっと謎が残るね。まぁ1人でやりきる力はものすごく大切だと思うけど。