大学はお金かかりすぎ

さて、大学受験が一段落したタイミングで、改めて大学にいく意味を考えてみる必要があると思う。医者になりたい人は、資格が必要なので大学に行かなくてはならない。薬学とか看護師も同様で、保育士とか学校の先生になりたい人も同様だ。それと、研究したい人も大学に行かねばらなない。研究は大学で行われるからだ。僕は今のところ、研究をしたい気持ちがちょっとある。といっても、それは研究したいというより、その事について詳しくなりたい、という知的欲求だと思う。で、受験勉強中にちょっと思ってたことなんだけど、知りたいなら今の時代、スマホがあるじゃないか。これでピピッと調べたら割とどんなことでも知れる。論文だって読める。それなのに、人生の1年をしたくもない5教科に費やす意味はなんなのか。でも、そんなことで勉強やめたらダサいから受験勉強は辞めなかった。でも、その期間中、この問いに答えを出すことは出来なかった。お母さんは、初任給がどうたらこうたらで、専らお金への執着で答えとしてきた。まぁ、その割り切り方も別に嫌いじゃないけど。結局、大学まで出てからじゃないと会社に採用されにくいんだろうね。だから、日本で生きる以上、この流れには乗らないといけない、ってことで、腹を括ったわけだが、阪大に落ちて、後期も微妙な中で、もし立命館に通うことになったら、学費がやばそうなのだ。理系私立はマジで高い。お母さんはこれをめちゃくちゃガミガミ行ってくるから、そんなに言うなら大学行きたくないって言うと、ふざけんなって言われる。まぁこれは阪大に受かれなかった僕のせいだから、責任は感じる。だから、大学でちょっと遊びたいなって思っても、なんか罪悪感にかられると思う。そうなると、充実したキャンパスライフは夢になってしまうので、頼むから後期受かってくれ