前期試験が終わった

さてさて、ちなみに今僕は大阪大学の二次試験が終わって、次は後期試験に向けて勉強をしないといけない状況なんだが、全然やる気が出ない。この1年ずっと大阪大学だけを目指して勉強していたので、もう完全に燃え尽きたふうである。いやあ、ホントに1年間、ただそれだけに没頭していたなあと、卒業式1日前にして思い返してる。僕は1年生の終わりに部活をやめて、3年生の初めごろに勉強にフルコミットしたが(2年生の時はバンド活動に夢中)、頑張ればある程度その努力におおじて成果が表れるという点において、部活も勉強も大して変わらないなあと思う。これはまた、勝負はその過程に対して恐ろしいほどに一瞬で決まるという点についても同様に当てはまる。いやはや、今思い返しても怖くなる。受験本番の緊張感とは恐ろしいもので、あれはたとえるなら、トランプタワーの1番上にカードを積み重ねようとしている状況なわけで、ちょっとでも気を抜くと、これまでのすべてが崩れ無意味になる、と考えただけで吐き気がしてしまう。そんな余計なことは一切考えず、ただ出された課題に対しての最適解をいつも通り理論的に導き出していくことが必要なわけで、これは要するにメンタルの強さを試されているわけでもある。この厳しい受験戦争を見事制し、晴れて第一志望校に合格した受験生は、その成功体験を元手にさらに次の新しい世界へ自信を持って羽ばたけるわけで、対して、あと一歩及ばず不合格だった受験生は、自分が積み上げてきたものがゴロゴロと崩れていく音を聞きながら、一瞬の絶望をかみしめるわけで。そうやって、成功してものが成功して、失敗したものが失敗していくふうなのは、資本主義における貧富差の拡大のそれと同じことが起こっているなあとも思う。しかし、こうとも考える。学力というのはその人を構成するパラメーターのごく一部に過ぎず、その大きさは部活動での成績などと等しいのではないかと。いや、社会的に見れば完全に前者が大きくみられるのが今の世の中で、しかしそれは本来等しく評価される必要があると思うのである。勉強ができても全然仕事ができない人などざらにいるだろうし、その逆もまたいるだろう。受験勉強がひと段落した今、勉強が世界のすべてである、とどれだけ自分が自分に言い聞かせ、大げさに言えば洗脳してきたかが、客観的に見えてきだして恐ろしくなっているのと同時に、「それが努力ってもんじゃない?」とも思えてきた。